【ODRピックアップ】20160531 ”節約”は時に自分を貶める
「一駅歩いたよ」という話はよく聞きます。
曰く。
- 健康のために。
- 気分転換に。
- 天気がよかったので。
- ちょっと考え事をしたかったので。
- 節約のために。
ちょっと待って!最後の一つには意見があります。
”節約”のために?
一駅歩くことで、どれくらい、何が節約できたのでしょう?
電車賃なら初乗りで160円とか?
あるいは手前で降りたのなら10円とか20円とか?
「それは大きいよ!お金は大事だよ」
”それは大きい”も、”お金は大事”も、言葉としては同意しかありません。但し、時と場合によってです。
電車に乗る目的は移動です。移動にはまたその目的があります。
- 仕事かもしれない。
- 誰かと会うためかもしれない。
- 早く帰って休むためかもしれません。
目的はいろいろ。
”その節約”は、単に「あなたの財布の中の現金が減らないという意味」では達せられたのでしょう。でも、変わりに失うものもある。それは言わずもがな。時間です。歩いていた時間。本来、5分で目的地に到達できた筈なのに、15分、20分?場合によっては30分を、160円のために費やした。
貴方の、その時間価値は、160円でしたか?
現在の貴方の社会的・客観的評価である”貴方が働いて得る給与や報酬”の時間価値と比較して大きかった?
その節約で財布に残せたいくらかと、貴方の報酬を比較して、自分はそれ以上の価値がないと断言できるのならまだしも、これから何かをやろうとしているのであれば、その節約より、時間を短縮して、早く目的地に到達するべきです。貴方は真面目な人だから、時間を守るために、160円のために、少し早く出発しているのではないですか?それは、そこで一緒にいた友人や家族との関係をも、160円以下と見ていることになりはしないでしょうか?
誰かと会うための自分の心を整える時間の価値は160円だった?次の次の目的である仕事や勉強やなにかのための英気を養う、休養するための時間は、160円だったのでしょうか。
単なる財布の中の現金の節約は、時に、自分の価値を、更には自分だけでなく、自分に関わる人の価値を貶めることもあるのです。